続 social networking

social networking は、まさに英語圏で生まれた発想だと思う。
誰でも彼でも frined 日本語にその単純さはない。
知人、親友、恩師、先輩、後輩、同僚、日本語にはそれらの言葉があるだけでなく、
私たちはその関係を絶えず意識しながらコミュニケーションを行っている。
十把一絡げに "friend" というわけにはいかない。

orkut では、最近、友達レベルを設定できるようになった。
知人から best friend までの五段階。しかし、それすら
US Culture には too much な気がする。
friend / not frined 気持ちいいくらいの、そして恐ろしく乱暴な
二項対立があの文化の基底にあると思える。
特に California はその傾向が強いのかもしれないが。

orkut でレベルをどう設定しようが、やはり frined は friend であり
その関係の太さを反映することは難しい。大親友の親友も、知り合いの知り合いも
social networking では、同じ 2リンク分の関係だ。

social networking の面白いところは、現実の友人関係をネットワーク上に
射影して、視覚化できることだ。
しかし、その手の視覚化に必ず伴う暴力的な記号化はやはり
避けてとおれないのか。